最近の報道を見ていると、ついにどの事件とどの事件が同じなのか別なのかわからないほど
似たような残虐犯罪が増えている。
前回触れた少年による山口母子惨殺事件のあと、17才による愛知の主婦殺人、それに「さきを越された」と
バスジャックして殺人・・・・
さらに、埼玉の高校生殺害、はたまた新潟県六日町の焼殺事件。そこへ発生時期は去年だが、栃木の
監禁恐喝リンチ・・・・
私もこう書いていて、何がどう言う事件でどうなったかがわからない状況ですが、最近の事件は
動機が希薄・・・・つまり、別の言い方をすると被害者は殆ど無関係、誰でも良かった・・・と言う事。
そして、殺し方が極めて残忍・・・・モチロン、殺し方に良い殺し方などないのだが、それでも
苦しみながら死んで行く事は、恐らく誰もが遠慮したい所だろう。
で、結論として、殆ど何の関係も無い、文字通りの「善良な市民」が、行きがかり同然に
残忍な方法でころされる事件が多発している。・・・といえるだろう。
「他人の痛みを知る」と言うのはかつては、主に「心の痛み」ではなかっただろうか。
「心の痛み」は実際に同じような体験をしないとなかなか判らないのだが、物理的な「体の痛み」
は、容易に想像がつく筈である。シャワーの熱湯を浴びれば熱くて火傷を負うし、生きたままガソリンを
掛けて火をつければどうなるか・・・・ついに他人の体の痛みも判らない時代になってしまった。
一方新潟の少女監禁致傷事件は、初公判でいよいよ事件の内容が判ってきました。
こちらも前に書いた通り、9歳から19才までの「最も大切な時期」を奪われても、生きていただけ有りがたいと
思わなくてはいけないのでしょうか。
犯人の方は、それなりの理由があっても、最長で10年・・・とか。或いは精神鑑定の結果次第では
無罪になってしまうのです。
話しはそれますが、「人を殺める」なんて事は、本来まともな神経では出来ません。
たまたま、魔が差して人を殺してしまうと有罪に成り、継続的に精神異常だと無罪だなんて
理屈にあわないと思いませんか。
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