私が毎日通勤する道に、正月明け位からでしょうか花が供えられました。
良く見かける光景と言ってしまえばそれまでですが、きっと交通事故で肉親を失った人が供えているのでしょう。
毎日のように新しい花が供えられますが、花束の数だけ悲しみがあるような、そんな気がします。
新幹線に沿ったその道は見通しも良く、かなりのスピードで車が行き交っています。
私も45km程の通勤のため、ついついスピードを出してしまうところです。
花と一緒に缶ジュースなどが供えられている所を見ると、どうやら子供のようです。
人の命の重さに区別はありませんが、それでも子を持つ親として、亡くなった人が若ければ若いほど悲しみが大きいような気がします。
話は別ですが、昨年の夏休み子供の一年先輩がバイク事故でなくなりました。
バイク事故と言っても、昼間部活を終えて帰宅中の事故ですから、決して本人の過失が大きい事はあり得ません。つまり、もらい事故です。
先輩と言っても、私は殆ど面識も無かったのですが、この時ばかりはそのご家族の、そして本人の「無念」を思って泣きました。
去年のお盆の時に「喪に服す」と言って、1週間ほどネットに出てこなかった時が正にそのときでした。
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