ペンペン草


「家族3」

Oct. 12, 2003


最愛のペット「エミリア」との別れ

その日は突然やってきた・・・

その日、10月9日19:30頃帰宅した私は、いつものように先ず「エミ」に挨拶をしようと 「エミちゃん、ただいま!!」と呼びながら、姿を探しました。

エミはなかなか気位が高く、ごく短いお留守番の場合は(しっぽ・・・はありませんので)、  お尻を振りながら迎えてくれますが、少し長くなると、こちらで探さないと出てきてくれません。

その日は朝から1人でしたから、当然出てこないのですが、そればかりか、普段は体を震わせて怒っている様子を示すのですが、 この日はそれすら無く、ただじっとしていてなかなか許してくれませんでした。

そのうち、家内や子供が帰ってくると、いつもと変らない様子で、肉を欲しがったり、「撫でろ」と要求したりしていました。

23:30頃、休もうと思い寝室に向かいながら、「エミちゃん寝るよ」と呼ぶと5〜6歩歩いては、「ククッ、ククッ」と くしゃみのような喘息の発作のような音と共に、吐き出しそうな仕草を何度か繰り返しました。

あとで考えれば、この時異常に気付きすぐに獣医さんに連れて行けば良かったのかも知れません。
実は、獣医さんは家内の同級生で、日頃から懇意にして戴いていたので、「たたき起こせば」良かったのかもしれません。
でも、静かにしていると多少呼吸が粗いものの、落ち着いたようなので、そのまま休みました。

家内が床につこうとして、異常に気付いたのが午前1:00過ぎ・・・
「どうしよう。獣医さんに電話しようか」「こんな時間だと悪いかなぁ」「せめて朝6:00だろう」・・・ いたずらに時間だけが過ぎて行きました。そして、その間に更に容態が悪くなった気がします。

夫婦揃って一睡も出来ぬまま、5:30準備を開始。満を持して出発。私が運転。エミは家内の腕の中で苦しそうにしています。
獣医さんに着いて、間もなく6:00という頃、電話を入れました。・・・・出ません。「直接呼び鈴押そうか」「もう一回電話してみな」

出てくれました。早速診察室へ・・・
呼吸音が大きくて、心臓の音が聞こえないけれど、心臓の弁の異常から来る 「劇症肺水腫」の可能性が高い、と診断され、早速酸素ルームに入れられ、 利尿剤の注射と点滴がはじまりました。
東京の長男を急遽呼び寄せました。 もっとも、連休だったので、帰省するかどうか決めかねていたところですから、全くこのためだけというわけでもありませんが。

義父の入院で

今まで経験の無い寂しさ

9月に義父が入院した。ガンだったが、少し削るだけの簡単な手術のはずだった。
しかし、手術の当日突然左足が動かなくなった。二度目の脳梗塞だった。

四年前に脳梗塞になった時は、入院後日々よくなって行ったのだが、今回は日々悪くなっていって、 付き添いが欠かせない状態になった。

今までは「エミ」のため、基本的に家族揃っての旅行はしないか、 ペットも泊まれるホテルに皆で泊まる様にしていた。
だから、エミにとって毎日「お留守番」なんて事は初体験だった。

人一倍寂しがり屋の「エミ」を二週間近くも殆ど毎日「お留守番」させておいたのだから、 かなりのストレスだったと思う。

昼間一旦持ち直したものの

夜になって急変

昼間は長男も遠くから面会し、ずいぶん良くなった様に見えたそうだ。
しかし、10日の23:00頃、獣医さんから「エミちゃんの呼吸が粗くなった。とても危険な状態なので、来て欲しい」っと第一報が入った。
更に、向かっている途中「今、息を引き取った」との報が入った。
それでも、何か悪い夢ではないかと思いながら獣医さんに向かった。

着くとそこに有ったのは、もうダンボールのお棺に入ったエミの姿だった。
まだ暖かかった。皆で泣いた。とりわけ家内は号泣した。
一通りの説明を受け、遺体を引き取って家路に付いた。丁度12:00頃だった。

家についても我々が魂がぬけたようだった。もう一度みんなで泣いた。
家内は関係者にメールした。メールしながら、また泣いた。

家内の提案で、昔のように狭い寝室に皆で寝た。お通夜の添い寝のつもりだった。
時折触ってみると、少しづつ冷たくなっていく気がした。
夜が明けても未だ信じられなかった。ダンボールを見た。やっぱり亡き骸だった。現実だった。また泣いた。

更に軽く

火葬に付した

11日、この日も早朝から付き添って朝食を食べさせに家内は出かけた。
8:30頃私がペット供養専門のお寺に電話した。14:00からの特別葬と決った。
付き添いは昼ごはんを食べさせたあと、人に頼み皆で火葬場に向かった。

着くと、そこには同じように最近ペットを亡くした人が居た。
その後もひっきりなしに何組も来た。
読経供養のあと、最期のお別れをして火葬に入った。
一時間弱で骨拾いが始まった。何度目かの号泣が始まった。私も泣いた。
骨壷に入ったエミは一段と軽くなった。

もともと2kgのちっちゃな体で、本当に大きな愛をくれた。癒してくれた。
家族と一緒に居る事だけが生き甲斐のような、そんなエミを一人ぼっちにしておいた事を悔やんだ。

家に帰ってから早速祭壇を作った。
でも、未だ信じられない。その辺に居て物悲しそうにこちらを見つめられている気がした。
遺品を見るたび、遺影を見るたび・・・・また泣けた。

文字通り

家族を失う悲しみ

今回の件で子供たちも、家族を失う悲しみを知った。
命の重さを知った。

最期まで、エミは色々な事を教えてくれた。
さようなら、エミリア!!! 有り難う、本当にありがとう。


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